[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
タイムリーなので、某ニセ科学論議から考えてたことを書いてみる。
【ニセ科学論議の違和感概要】(痛いことを惜しげもなくさらすブログ)
【詐欺の被害者だって気付くまでは幸せ】(apjさん)
ajtptwtptjaさんが上記ブログで話題にしてた、「真・善・美」の概念。
【3.「科学的正しさ」と「人間的幸福」はどうやって両立するのか?】参照
これを上手いこと用いれば、ニセ科学に感じてる違和感とかその危険性とか、
これも上手いこと証明・解説できるんじゃないかと思いまして。
ええと、とりあえず、「真・善・美」について哲学的な理解をしてないので、
申し訳ありませんが、それぞれ以下のような語句通りの解釈でお願いします。
(大昔に高校倫理の授業で習ったはずですが、綺麗さっぱり忘却の彼方)
「真」=学問的正当さ。
「善」=倫理的な正しさ。
「美」=感覚的美しさ。
まず、apjさんの言われるように、「真・善・美」が、x.y.z軸か
どうかはともかく、それらが異なる判断基準であるということは同意するところ。
勿論、エントリー内でajtptwtptjaさんの仰るように、
「真」→「善」「美」(学問的に真理であれば、常に正しく美しい)
などと断言している学問の世界の人など、あまり聞いたことありませんが。
ただ、その三者において、相関関係がないわけではないとも思ってます。
「真」(→)「善」(学問的に正しいことが倫理的にも正しい)
「善」(→)「美」(倫理的に正しいことが感覚的に美しく思える)
「真」(→)「美」(学問的に正しいことが、美しい数式で表現できたりする)
(E=mc²)
で、本題。
ここで、ニセ科学代表「水からの伝言」について考えてみると・・・
apjさんとこのコメント欄でも、bontaさんが言及しておられますが、
「水からの伝言」は、明らかに「真」「善」「美」を混同してます。
その価値判断の中心となるのは、 専ら「美」であります。
美しい言葉に、美しい結晶。(※)
「美」→「善」(美しい結晶ができるのは、倫理的に正しいから)
「美」→「真」(美しい言葉が美しい結晶を作るのは、学問的真実)
つまり、美しいならそれ即ち「善」であり「真」である、とする考え方。
水の結晶も感謝の言葉も美しいのは、特に否定する気はありませんが、
では美しいことが倫理的に「善」、学問的に「真」なのかどうか。
「ありがとう」など美しい言葉は、確かに倫理的に正しい場合が多いですが、
しかし例外がないわけじゃない。というか、常に正しいとは限らない。
つまり、この場合は「美」≒「善」
まして、美しい言葉が美しい結晶となって顕現するのが正しいのかといえば、
これは、科学的に完全に間違ってる(真理から程遠い)のは周知のところ。
少なくとも、この場合は完全に「美」≠「真」
「水からの伝言」の蔓延は、科学とリテラシー能力を劣化させ、
波動ビジネス(悪徳商法)の蔓延に繋がる、と批判されることが多いですが、
個人的に考える「水伝」最大のリスクは、これだと思ってます。
学問「真」や倫理「善」が、
感覚「美」に従属させられる危険性。
「美」を上位概念化することにより、「真」が完全に曲解される。
→真実を追求するのに不可欠な合理的思考が低下する。
「美」を上位概念化することにより、「善」も誤る可能性がある。
→善悪の判断を、自らの美的感覚に委ねるようになる。
最悪の場合、上位概念化どころか「美」を絶対視するようになり、
正常な合理的思考を停止させて「美」を優先。
正常な倫理観に基づく判断も停止させ「美」を優先。
反面、自らの「美」に反する概念「醜」は、排除対象となってしまう。
たとえそれが、学問的な「真」、倫理的な「善」であっても。
最終的には、「美」による原理主義。
学問「真」よりも倫理「善」よりも、
自らの「美」(感情・感覚・感性・直観)を
絶対視し、「醜」を安易に排除する
人間になってしまうのが怖いんです。
「水からの伝言」や所謂「スピリチュアル」系統に感じる
違和感・胡散臭さとは、判断基準に「美」を重要視させるその態度。
「美」の「重要視」くらいならまだしも、「優先」させはしないか。
更に価値判断が進行(信仰?)して、「絶対視」しはしないか。
「美」と「醜」の二元論により物事を判断してはいないか。
学問「真」も倫理「善」も、「美」に従わせようとしていないか。
少なくとも「水からの伝言」は、学問「真」を歪めてるのは事実。
必然的に、信じる者の倫理「善」も歪ませると考えるのが妥当でしょう。
道徳に用いるなんぞ、もってのほか!
この話、次回に続きます。おそらくは、もっと怖い話になると思われ。
※もうちょい厳密に詰めれば、こういう論理構造じゃないかと思う。
↓ ↓ ↓
①「善」→「美」(倫理的に正しいことが感覚的に美しく思える)
∴②「美」→「善」(美しいと感じるのは、倫理的に正しいから)
③「善」→「真」(倫理的に正しいことは、より真実に近いはず)
∴①→②→③より、
④「美」→「真」(美しい言葉が美しい結晶を作るのは、学問的真実)
「真」「善」「美」の密接可分(「不可分」に非ず。「適当」と同義)な結びつき。
科学者などに「真」ではないと批判されると「善」なのですと反論し、
「善」かどうかも怪しいと批判されると、最終的に「美」に逃げ込む。
そんなの、個人の自由(私の美意識・感覚・感性・直観の問題)でしょ、と。
(ニセ科学一般について、「夢」だの「ロマン」だのと称して判断を保留するのも、
「美」=「善」、更には「美」=「真」であれかし、という願望なのかもしれません)
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |