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某日記別館(裏日記)。トンデモや時事に特化。
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カテゴリーに「トンデモ(心理)」を追加。

(mixi日記の、ほぼ転載)
タイトルは、トンデモビデオ『ボーイングを捜せ』まえがきより。 


これ映画制作者の責任回避であると同時に、もう一つ効果があるんじゃないか。
つまり「我々は強制していない」ってことは、このビデオを無批判に信じ込んだ人は、「(強制ではなく)自分の意思で判断した、考えた」という確信を勝手に抱いてくれる、という効果。

「自分の意思で判断した」という確信に至った瞬間、その確信が「他人の考えを鵜呑みしただけかもしれない」という、自己判断過程への疑問を持つことを妨げてしまう。その結果、他人から「(教祖・教義・陰謀論の)鵜呑みではないか」と批判されても、「その批判は自分には該当しない」「自分の意思で信じているのだ」と考えてしまうことに。

同様なことは「バランスを取る」にも言えるんじゃないかと。
「自分はバランスを取っている」という確信に至った瞬間、自分の考えるバランスの中心が偏ってるんじゃないか(ぶっちゃけ、自己中心的なバランス感覚で物事を判断してるんじゃないか)、という疑念は雲散霧消してしまう。

逆に言えば、人間誰しも「他人の受け売りではなく、自分の判断・考え方を持ちたい」「バランスの取れた、公正な視点を持ちたい」という願望が存在するということではありましょう。そして「あとは見た方の判断に委ねます」「バランスを取らなければ」という文言は、その願望を満足させてくれるテクニックだとも言えるのではないかと。それ言ってる本人にその気があるかどうかは知らんですが。


『OFFである』という意識が注意力を解除させる。(中略)心理の死角さ
            福本伸行『アカギ』4巻第33話。

「自分で判断している」「バランスが取れている」と思った瞬間、その部分――自分の判断やバランス感覚――の、自己評価・自己懐疑が「OFF」になり心理の死角に隠れてしまう。サスペンスや刑事ドラマなどで、一度探した部屋は二度も探さないみたいな。その部分の注意力(リテラシー能力)が解除されてしまい、あとはトンデモや陰謀論者一直線。
手品におけるミスディレクションというか、性質の悪さは洗脳のテクニックのそれというか、心理学でも確かこういうテクがあったような。

『トンデモは、自分に当てはまる言葉で他者を批判する』
ってのも、その部分の自己評価OFFになり、心理の死角に入ってしまうことにより、極端なまでに自分に甘くなった人が陥った思考回路(末路)なのではないかと。

「その場所は、我々は2000年前に通過している」とか考えるんじゃなくて、常日頃の自己検証(懐疑)作業を忘れないようにしなければ。てゆーか、これ懐疑主義者としての最低条件ではないか、とも思ったりして。

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中立原理主義
>「あとは見た方の判断に委ねます」

作者の責任のがれのための言い回し、というのは、
わたしも感じていたけれど、読んだ人に自分のあたまで考えた
気分にさせるという心理効果は、気がつかなかったです。
(なるほどねえ...)


>「バランスが取れている」

これは、わたしも、しばしば感じているところですよ。
「自分は中立だ」という自負が入ると、「自分の見かた=中立」と
思い込むようになって、偏ってきても無自覚になるのね...

これには、もうひとつタイプがあって、
偏っている意見と、自分でもわかっているけれど、
それをあえてかばうことで、「自分はいろんな意見を聞いて公平だ」と、
思われようという「偽善者」もいるから、いやになるんだけど。
たんぽぽ URL 2007/11/11(Sun)20:36:18 編集
「原理主義」というより「似非中立」かな
どんなに偏った人でも、自らの主張を世間に受け入れられ易いよう「公平感」を演出するんですよね。そういう人がよく使うのが「両論併記」「相対主義」。
…で、

>「自分はいろんな意見を聞いて公平だ」

というのも、実際、全ての人の意見は公平に扱うべきなのは原則でしょうが、中には公平に扱うべきでない、聞かなくても良い例外もあるわけで。
それが、「ニセ科学」や「修正主義」。

これらは批判されて然るべきですし、むしろ批判しない方が社会にとって害悪になりかねない。日本では一応主張することは自由なのですが、ドイツなど欧米の憲法で、修正主義的言論を許さない旨規定している話は以前そちらでやりました(こちらでもエントリーに書こうかな)。
gallery URL 2007/11/13(Tue)01:58:20 編集
無題
わたしも、そのあたりは、モンダイ意識を感じております。
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/against/logic4.html


修正主義的言論に関しては、ちょうどこんなのがありますよ。
http://hamnidak.exblog.jp/6777150/
|現代の歴史修正主義がやっかいなのは、政治的中立や言論の自由、
|学問の自由の擁護者であるような顔をしてやってくるという点だ。

修正主義者に「自分たちにも言論の自由がある」なんて言われると、
彼らの言論の自由を、積極的に「尊重」する人たちって、
(自分では修正主義に反対でも)結構いるんじゃないかな...?
こういう人たちは、そうすることが健全で、
修正主義者と言えども、彼らの言論を規制するほうが危険だと、
思い込んでいるから、やっかいなんだけど。
たんぽぽ URL 2007/11/14(Wed)22:10:50 編集
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