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地元でも、EMの活動は盛んですしモーツァルトと相まって妙なことになってますし。
そういえば、比嘉照夫氏の書籍を何冊か持っていたことを思い出しまして、
奥の方から引っ張り出して読んでみました。
(wikipediaや『科学とニセ科学』レジュメ、『カルト資本主義』などと
カブる部分がかなり多いですが、一応、初心者向きということでご容赦を)
まずは、一冊目。
『微生物の農業利用と環境保全~~発酵合成型の土と作物生産~~』
農文協(社団法人/農山漁村文化協会)1991/03/01発行
感想 : 思ったより酷くない本でした。
内容は主に、微生物の有効利用とその方法論。
目次を見ると、こんな感じ。
↓
第一章 微生物利用の新しい視点 |
可能な限りデータや表・数値を多数示し、説得力を持たせようとしてます。
学術的・・・とまでは言えないかもしれませんが、比較的誠実な内容です。
妙に主観的な断定表現が見受けられたりしますし、見る人が見れば、
それらデータや数値も、恣意的で都合の良い用いられ方していたり、
記述に誤り(それも根本的なの)があったりするかもしれませんが、
それでも学術的に記述しようという努力が随所に見受けられます。
何と言っても、この本の最大の特徴は、
「EM」という言葉がほとんど出てこないのです。
目次にあるそれらしい解説をした部分にもこの言葉、全く出てきません。
第二章 発酵合成型の土壌と作物生産
一、有用微生物の種類と機能
「EM」の記述があるのは、ほんの五箇所(P.98~99)だけ。
しかも本文ではなく、表の中の略語として。有用微生物(EM)処理した作物と、
そうでないものとの生育等を比較した実験において用いられるのみ。
・・・・・・で、二冊目。
『地球を救う大変革~~食料・環境・医療の問題がこれで解決する~~』
サンマーク出版 1993/10/20発行
感想 : なんじゃこりゃ(笑)
タイトルもそうですが、各章の見出しも非常に過激で断言的になってます。
お前ホントに科学者か?・・・と、問い質したくなるほど
目次なんぞは、ほとんどこれ深夜の通販番組のノリ。
↓
プロローグ 有用微生物群が地球を救う |
もっとも、表現の過激さに関しては、比嘉氏よりサンマーク出版の編集が、
よりセンセーショナルになるよう煽っていることも、一因として挙げられます。
〔あとがき〕
本書の題名が 『地球を救う大変革』 といういささか大げさなものになったことで、実は私自身、少々抵抗を感じています。しかし、編集側の「この技術は一人でも多くの人に知ってもらいたい」という熱意にしたがって、[中略] とりあえずまとめてみました。 |
その内容も、前著作であれだけ示していた表やデータなど欠片もありません。
前著から2年半ほど経過してますが、その2年半で一体何が起こったんでしょ。
って、どうも船井幸雄氏に出会ったのが原因ではないかと思われるんですが。
船井幸雄よりのコメント |
次の著作『これから10年 本物の発見』(93.6)で、初めてEMが扱われたこと。
そして、直後に著された『地球を救う大変革』(1993.10)の中での比嘉氏の変貌。
これらから察するに、『微生物の農業利用と環境保全』を著した頃とは
明確に異なる変化が比嘉氏の中で起こったことだけは事実でありましょう。
・・・とすれば、船井幸雄おそるべし!
とりあえず、その超絶な内容については後日に回すとして、
この本を読んで比嘉照夫氏自身について知り得ることを箇条書きにしてみる。
●そもそも「EM」って言葉自体、比嘉照夫氏による造語(歴史は非常に浅い)。 〔P.13〕
EMとは英語の「有用」(Effective)と「微生物」(Micro-organisms)を組み合わせた私の造語で、「有用微生物群」の略です。 |
●比嘉照夫氏自身、微生物学が専門ではない(本職は、ミカン等果樹栽培)。 〔P.40〕
当時は大学院というのは旧帝大だけにしかなく、私が希望していたミカンの研究ができるのは九州大学でした。 |
●「EM」命名前後(S57年頃)に、「世界救世教(公式サイト)」と巡り会う。 〔P.42〕
EM実用化のメドがついたのは昭和57年頃のことですが、[中略] EMに関して園芸学会などで発表したのですが、反応はゼロに近いものでした。 |
ただ、前述したように1991年の比嘉氏の著作の時点では、「EM」という言葉自体、
それほど重要視してないようですし(出版社から突飛な内容を書くの止められた可能性もあり)、
EMを過剰にアピールするようになったのは、船井幸雄接近遭遇後だと思われます。
●あと、この本を読んで理解できるのは、比嘉照夫教授のメンタリティ。
特に、第4章にかなりの頁を割いて自己の経歴と心情を語っておりますが、
そこでEM開発からニセ科学までぶっ飛んでいった過程を垣間見ることができます。
この方自体、徹底的な実地学の人でありまして、学術研究や理論はほぼ独学。
それはそれで素晴らしいとは思いますし、努力は大いに認められるのですが、
反面、自分に足りない研究・学問コンプレックスを抱くこととなり、
その裏返しで研究・理論を軽視又は軽蔑する傾向が強いのです。
〔以下、P.181~183からの抜粋〕
高校時代の独学の体験は、いまでも私の人生観のバックボーンとなっています。「自学自習できることは人に教えを乞わない」「人間が考えたことなら時間さえかければだれにでも理解できる」「体験のないか架空なものはすぐ消える」などです。 |
徹底的なの現場重視の姿勢の結果、現場で役に立つか立たないかの二分法に。
そして、役に立つ(と思った)モノを発見するやいなや、研究や理論は置いてけぼりに。
理論と実践のバランスというのは、つくづく難しいものです。
最後になりましたが、比嘉照夫教授の、ちょっといい話をひとつ。〔P.200〕
私の研究室の卒業生の中には、他産業に従事している人から羨望の目で見られている農家が多数います。彼らは代々続いてきた農家の子弟ではありません。一坪の土地もない農学部の学生でした。彼らを毎週、土日の実習で遠く離れた山の果樹園に連れて行き、夜は八時まで仕事をした後に、十二時になるまで酒を飲みながら議論し、朝五時には叩き起こして、また果樹園の仕事をさせる。その繰り返しで彼らを農業志望者に変えていったのです。 |
いや、自分自身が学生だったらと考えると「自業自得」と思うのですが、親の立場で考えると「想定外の災難」でしかないです(親ばか)。
まあ、常識的に考えると誇張や自嘲が混じってこういう表現になっているのだろう、ある種のスパルタ的な接し方で魅力と覚悟を教え込んだとかいう程度のもんだったんだろう……と思いたいんですが……ううむ。
>いや、自分自身が学生だったらと考えると「自業自得」と思うのですが、親の立場で考えると「想定外の災難」でしかないです(親ばか)。
実際、農業は大変だけどやりがいのある仕事でしょうし、比嘉教授は徹底的に善意の人なのですが、如何せん考え方が考え方ですし。てゆうか、こういう甘い(自分にとって都合の良い)見通しで農業始めて、果たして上手いこと成功するのかどうか。
>まあ、常識的に考えると誇張や自嘲が混じってこういう表現になっているのだろう、ある種のスパルタ的な接し方で魅力と覚悟を教え込んだとかいう程度のもんだったんだろう……と思いたいんですが……ううむ。
微妙ですよね。一歩間違えるとマインドコントロール。しかもその「一歩」、それほど離れてないわけで。
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