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某日記別館(裏日記)。トンデモや時事に特化。
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草葉の陰で、さぞかし鬱陶しがられておられることでしょう。
ヒンドゥーに「草葉の陰」という概念があるかどうかは知りませんが。

朝日新聞のシリーズ〔歴史と向き合う〕 第二部・戦争責任①
『東京裁判・パール判事の実像』  が掲載されたのが、2005/07/12。
日本無罪の方面のみ採り上げられるという、偏った見方が横行しているようで
歴史は多面的に見なければなりません…って、どこぞで聞いたことが(笑)。



要は、ラーダ・ビノート・パールの全体を知りましょう、てことですよ。
親日家(当時の)であったこともそうですし、絶対平和主義的思想もそうです。
人間ですから、そりゃあ偏りもあるでしょう(もちろん他の判事にも、ですが)。
以下、パール判事の実像に迫る…というより、パール判事の意図を正確に
しかも簡潔に伝える文献が、今まで出てなかった…というのが正しいのかな。
  (東京裁判判決における少数意見者としてのパール判事というか)

パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義 (中島岳志・白水社)
その書評 : 紙屋研究所 中島岳志『パール判事』 (追記あり)

そして、今年のNHKスペシャルでも採り上げられました。
パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判・知られざる攻防~
その感想 : 考察NIPPONより、パール判事の主張 (追記あり)

でも両方とも未見。NHKスペシャルの方は、ビデオに撮ってあるのに…

例の朝日の記事の後で、ちょっとパール判事についての調べものあり。
その時に、とりあえず彼が日本人に、どのように受け取られておるのか
色々とググってみたところ、妙に気になったことは、パール判事が

> 極東裁判における判事中、唯一の国際法の権威

てな記述しておるサイトやBlogが妙に多いこと。 
ちなみに「パール」「唯一」「国際法」でググってみると…どーん。 
いわゆる四大紙でも、産経新聞【2005/06/26東京朝刊】の記事とか。 
他にも、パール判事【ぱーるはんじ】:イザ!であるとか。

……ええとですね。
パールの当時の専門分野は、 ヒンドゥー法哲学・私法・手続法
国際法の素養はあれども「専門家」だの「権威」だの言われると…???
主義主張除いて素養だけを言えば、裁判長のウェッブにもあるでしょう。
『1941~44年の日本人の残虐行為及び戦闘法規違反に関する報告書』
作成。1944年には、ロンドンの国際連合戦争犯罪委員会にも参加してますし。

>唯一、国際法関係の著書があった

てな記述も見受けられますが(こことか)、 
その著書『国際関係における犯罪』を著したのは1955年。 東京裁判の後。
ちなみに東京裁判後に国際法学者となったのは、オランダのレーリングもそう。
少なくとも「唯一の」とか言われると、そりゃ違うよとしか言いようがない。

しかし、以前からこの手の言説はあったようで、それが定着したのは
恐らくは、よしりんの『戦争論』(P.44、P.283、P.308など)だと思うですが、
その元ネタは、どうも田中正明『パール判事(原題・博士)の日本無罪論』
ようです。 (これの更なる元ネタなどありましたら、ご一報下さいませ)
またかまた田中正明か、ということに。



東京裁判の全判事の略歴一覧 〔東京裁判ハンドブック(青木書店)P.208〕 

裁判長
豪州代表 ウィリアム・F・ウェッブ卿 (クインズランド高等法院判事

判事
加奈陀代表 E・スチュワート・マックドウルガル判事 (高等法院判事
中華民国代表 梅汝敖氏 (南開・武漢両大学教授、立法部員
仏蘭西共和国代表 アンリ・ベルナール
和蘭王国代表 バーナード・ヴィクター・A・レーリング
     (ユトレヒト裁判所判事、同大学教授
新和蘭代表 エリマ・ハーベー・ノースクロフト判事 (最高法院判事
ソビエト社会主義共和国連邦代表 I・M・ザリャノフ判事 (陸大法学部長
北愛蘭聯合王国代表 パトリック
     (英国王室顧問弁護士、スコットランド高等法院判事
亜米利加代表 ジョン・P・ヒギンズ → マイロン・C・クレーマー
印度代表 ラーダ・ビノート・パール判事 (カルカッタ大学教授、高等法院判事
比律賓代表 ハラニーヨ(ジャラニラ)判事 (高等法院陪席判事


★追記【10/4】 なんか、Wikipediaの記述とか結構酷いもんですねえ。

「日本語、英語ができない」とか「本国でも裁判官の職にない」とか
そういうこと編集している人よりは、少なくとも上記判事たちの方が
法律知識の素養もリーガルマインド的にも遥かに上ではありましょう。

確かに、通訳の絶対的人材不足の側面は否定できないところではありますが。
ちなみに、法廷通訳(日・英)は30人。それを常時、法廷用語に直すのが4人。
審理期間は、ニュルンベルク裁判が10ヶ月に対し、東京裁判は二年半。
そのかなりの部分、通訳により費やされたようです。


★もひとつ追記【10/4】 仏蘭西代表アンリー・ベルナール判事の裁判後の発言

>「すべての判事が集まって協議したことは一度もない」

実は、この原因のほとんどはパール判事に責任があったりします
まず、法廷欠席日数の最も多いのがパール判事で、80日以上
更に以下のような態度では、そりゃ全員集まって協議もできないでしょう。

東京裁判開廷中のパルは、宿舎の帝国ホテルと市ヶ谷法廷とを往復するだけで、他の同僚裁判官との交流も避け、自室で膨大な証拠書類や参考資料に
取り組んでいたという。
 
 〔東京裁判ハンドブック(青木書店)P.67〕 


ちなみに、次に欠席の多かったのが裁判長のウェッブ。本国の公務のため
1947年11月に1ヶ月あまり帰国(法廷欠席日数が一ヶ月なのではない。念のため)
法廷の定足数は、過半数と定められていた。

ただし、ニュルンベルク裁判の場合、法廷は4人の判事全員出席を必要とし、
裁判官欠席の際は、予備裁判官を用意していた。

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