忍者ブログ
もっと休むに似ている
某日記別館(裏日記)。トンデモや時事に特化。
 14 |  15 |  16 |  17 |  18 |  19 |  20 |  21 |  22 |  23 |  24 |
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

まだ特集はしてないけど、七田眞
kikulogでも話題になっております。七田眞
音楽熟成教会の総元締め。七田眞

そんな、七田眞先生の右脳教育が、リアル教育現場で見られることに。
七田チャイルドアカデミーと東京女子学院が業務提携

あくまで業務提携なので、学校側の狙いはかもしれませんが。
…と、思いきや、学校紹介に既に七田氏やらが登場しておられます。
更には、学校長の挨拶の時点で、すでに右脳と左脳やそれっぽいことが。
ここから察するに、やはりではなくガチなのですか(余計に悪いわ)。
東京女子学院の現場で働く先生は、果たしてどう思ってるのでありましょうか。


拍手[0回]

PR
千島学説(新生命医学会) 

今のとこマイナーだけど、将来的に怖い存在になるやもしれんトンデモ。
故・千島喜久男博士が提唱した8大原理によって構成される
現代医学の基盤から覆す革新的医学理論。……らしい。
1930~1950年代あたりで活躍されてます。
ニセ科学・擬似医療・スピリチュアルブームに乗っかって再燃。
この 大原理 が素晴らしい。逆ベクトルで。
どう研究したら、こういうブッ飛んだ結論に達するのか、
思考過程を辿ってみたいようなみたくないような。

とりあえず、あまり批判してる人は見当たらない。
幻影随想 さんによるまとめはあるけど。
つか、妙に信じてる人が多いぞ。これは怖い。

拍手[0回]

こういうの見てると、実際、すごいなと思うんですよ。

よくもまあ、これだけ懇切丁寧にトンデモな人と対話できるものだと。
ようやく、これから後半を読もうかという段階なのですが、なんか議論がスレ違っていくらしい。
そう考えたら、前blogの「休むに似ている」で、「いい感じ」さんとやってた議論なんざ、全く不親切で揶揄的な口喧嘩レベルの議論ですな。ちょっと…いや、かなり後悔。しかし、だからといってコチラでも同じ内容の議論を続けてOKにするかといえば……う~ん。
実際、明らかに乗ってる土俵(おそらくは議論のルールすらも)が違いすぎるし、憲法概念を理解してない者にわざわざ概念から(むしろ、一般常識から)を教えなきゃ議論が進みようがないわけで、一々対応するの、ものすごく面倒くさいんですよね。
しかも、絶対に説得されるはずないのは判り切ってるし。
ついでに、ABOFANさんと渡邉先生との議論は、議論の内訳メール全公開してるから全ネットユーザーのメリットになってるわけで、辺境の一blogでチマチマやってることが果たして多少なりとも誰かに影響与えてくれるのか。

かな~り迷ってます。
しかし少なくとも、捨てハンでコメントしてる奴とは無駄に議論したくないなあ。

拍手[0回]


画像UPする実験を兼ねてネタをひとつ。

●暴騰をつづける価値の収集―――
『コイン利殖入門』 倉田英乃介
 青春出版社 昭和48年4月1日初版

問題。 この本の著者は誰でしょう?

拍手[0回]

NATROMの日記 より
信仰と狂気~吉村医院での幸せなお産

本気でゾッとしたので。
「最高の幸せの瞬間」に満ち足り、我が子の命を省みない親にもですが。
もっと恐ろしいのは、この逆パターンを想像すると。

もしも、この子が現代医療の病院で亡くなってたら。

■幸せなお産(オーガニックエッセイ たけまつばなし一覧)
これ見ると、どうも誕生の翌日すでに吉村医院に転院しておるようで、下手するとそのせいで亡くなったんじゃないか。現代医療の病院なら死なずに済んだんじゃないか、と勘繰れなくもないのですが、とりあえず置くとして。

「吉村医院の心地よい部屋の中で」亡くなったからこそ、親御さんこれだけ安穏な気分でいられるわけで。
現代医療を「悪徳の極みだ」などと言ってる人間の子が、その現代医療悪徳の極みの病院で亡くなった日には、「僕たちに幸せな3日間をくれた」などと素直に諦めてくれるとはとても思えないんですが。
・亡くなった全責任を現代医療(具体的には病院と医者)におっ被せるんじゃないか。何せ「悪徳の極み」ですから。
・例え病院と医者が、どんなに事前に配慮してくれていても、事後にできる限り誠心誠意尽くしてくれても、納得などしてくれる可能性は低いんじゃないかと。「悪徳の極み」ですから。
・我が子は、「悪徳の極み」による犠牲になったのですと触れ回ったり
・下手すれば、「悪徳の極み」と戦うために正義の訴訟を提起して…

あくまで、こういう人の性格の傾向から予想した最悪のシミュレート。
子供の死を運命だと認めて素直に諦めれば、それに越したことはありませんが、なんかヘンな運命(というかヘンな使命感)を背負いそうな嫌な予感が。
(あ、勿論、医療過誤もスルー汁などとは考えてませんので念のため)


NATROMさんとこのコメント欄にありましたが、

医療訴訟になっておかしくないと思うけど、ならないのは、医者と患者・家族の信頼関係が強く成立しているからなのでしょう。別の意味で感心しました。

確かに、強固な信頼関係は存在していると思います。
ただ、それは自然分娩への強烈な肯定・憧憬と、反面、現代医療に対する強烈な偏見に基づくものではないかと。両方の病院で、全く同じ気持ちで全く言葉を掛けられても、受け取る側のバイアスに応じてそのヘンは自由自在に。
現に、現代医療の病院での配慮・気配りも、「マニュアルのように繰り返される看護婦さんの一見、やさしげな言葉」であり、「目が死んでいる。心が死んでいる」のでありますから。

逆に言えば、こういう偏見に凝り固まった人にはどう対応しようが同じ、
という絶望的な結論になるわけで、そこらが最もゾッとする点です。
現代医療が科学的根拠のない不信感と訴訟でズタズタになる(現に、かなりそうなっている)ことを考えると尚更で。

拍手[1回]

Copyright ©  もっと休むに似ている  All Rights Reserved.
*Material by Pearl Box  * Template by tsukika
忍者ブログ [PR]
Admin ♥ Write ♥ Res
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[12/14 Michaelbats]
[10/18 AdrianMync]
[10/16 uchi]
[08/29 不明]
[08/23 匿名部長]
[09/16 O]
[07/09 杉山真大]
[06/18 不明]
[09/08 ヘビメタ大好き]
[08/06 反カルト]
最新トラックバック
忍者アナライズ
カウンター
アクセス解析
フリーエリア